私の両親は、中島みゆきさんの大ファンなんです。
その影響もあって、私も中島みゆきさんの曲を毎日のように聴いています。
注:イメージ画像(出典 Instagram)
みゆきさんの楽曲についてはよく知っていたのですが、その人柄についてはこれまで知るチャンスがなかったので、思い切って調べてみることにしました。
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中島みゆきさんは、北海道札幌市出身のシンガーソングライターで、1952年2月23日生まれの66歳。
実家の家族構成は両親に3歳年下の弟が一人いらっしゃいます。父親は産婦人科医で、当初は勤務医でしたが、後に中島産婦人科の医院長を務められていました。
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祖父は帯広市議会議長などを務めた政治家の中島武市氏。
父親は既に他界されていますが、みゆきさんの弟さんが父親の意志を継ぎ、都内で医師をされているそうです。
母親はとても美人なことで知られていたそうで、現在はみゆきさんが取締役をされている会社の代表取締役をされています。
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みゆきさんは札幌のエリート一家の中で育ったんですね。
政治家や医師、経営者、歌手が揃うファミリーなんて、なかなか見かけるものではありませんよね。
札幌で過ごしたみゆきさんの幼少期に迫ってみると、やはり音楽が大好きな女の子だったようです。
5歳からピアノをはじめ、音楽に没頭。そのまま高校受験のころまでずっとピアノを続けていたそうですよ。高校時代には既に曲作りを始められていたそうです。
そして高校の学祭で初のステージを踏んだと言われています。
札幌時代から、みゆきさんは作詞や作曲をスタートさせていたんですね。
高校卒業後は札幌にある藤女子大学文学部国文学科へと進学されます。同大学は札幌市内にある私立大学で、地元ではお嬢様大学として知られているんですよ。
みゆきさんが通っていた当時は難関大学のひとつとして知られていて、偏差値は60だったそうです。
…医師の娘として育ったみゆきさん、裕福でありまた高学歴でもあったんですね。
大学時代には放送研究会に所属。
その後はローカルラジオ局でアルバイトも始めています。この頃から様々なフォークソングコンテストへ出場して、数々の賞を受賞していらっしゃいます。
進学後、音楽の才能はより一層大きく開花していたんですね。大学卒業後は実家を手伝う傍ら、アマチュア歌手として活動されています。
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そして、1975年にはヤマハのポピュラーソングコンテストで入賞。
9月には「アザミ嬢のララバイ」で歌手デビューを果たしています。
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そして同年、世界歌謡祭では名曲「時代」でグランプリを受賞し、その名を全国へ一気に広めることとなるのです。
この「時代」という曲は誰もが知っている名曲ですよね。
歌詞やメロディが美しく、何度聴いても飽きることがなく胸に響きます。
みゆきさんは、この楽曲を23歳の頃に作詞作曲されたというから驚きです…。
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学生時代に作ったオリジナル曲は100曲以上も存在しているというのも驚きのエピソードです。
1976年4月、ファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』を発表。その後現在まで、1年につきアルバム約1枚のペースでコンスタントに作品を発表し続けているんです。
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デビュー当時から現在まで、才能が枯れることなくヒット曲を書き続けているみゆきさんは、歌を歌うために生まれてきたのではないかと感じました。
同年には研ナオコさんに提供したシングル「LA-LA-LA」と「あばよ」が大ヒット、ソングライターとしての名を世間に知らしめます。
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翌1977年には歌手としても「わかれうた」が70万枚を超えるセールスを記録し、ミュージシャンとしての地位を確固たるものにしました。
自らが歌手として成功するだけでなく作詞作曲家としても大活躍されています。
研ナオコさんに提供した「かもめはかもめ」をはじめ、桜田淳子さん「しあわせ芝居」、増田けい子さん「すずめ」など数多くのヒット曲を世に送り出し、大きな成功を収めているんですよ。
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1979年にはニッポン放送「中島みゆきのオールナイトニッポン」がスタート。
番組においての軽妙な語り口が、リスナーの間で大きな話題を集めていました。音楽だけでなくトークも達者なんですね。
…ますます、みゆきさんは魅力的な歌手であり女性なのだなと感じてしまいました。
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1980年代に入ると、工藤静香さんの「MUGO・ん…色っぽい」、「黄砂に吹かれて」などの作詞を担当し大ヒットさせます。
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1990年代に入ってもその勢いは衰えず…
安達祐実さん主演の日本テレビ系列『家なき子』の主題歌として書き下ろされた、1994年の「空と君のあいだに」は147万枚のセールスを記録。
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2000年代以降も「地上の星/ヘッドライト・テールライト」やTOKIOに提供した「宙船 (そらふね)」など…ヒット曲を生み出し続けています。
札幌出身の中島みゆきさんの音楽人生に迫ってみると、とても華やかで輝かしい過去を垣間見ることができました。
これを機会に、一度札幌へ足を運んでみたいと思いました。
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参考:中島みゆき オフィシャルサイト