みなさんこんにちは、東大阪市在住の大学3年生、21歳の男です。僕は生まれたころから今まで、ずっと東大阪に住んでいるんですが…
中高と東大阪市外の私立校に通い、大学も兵庫県の大学に通っているため案外、東大阪のこと知らないんですよね。
…でも、やっぱり地元は好きだなぁって時々実感するという、中途半端な”地元愛”に溢れています笑。
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そんな僕に反して、やたらと”東大阪愛”が強いのが、中学2年の僕の妹。何がそんなになのかはよくわからないんですが、昔からやたら地元愛が強くて。
まあいいことだとは思うんですが、「お兄ちゃん、そんなことも知らないの?地元のことなのに!」的なことをよく言われるので、正直ちょっと面倒くさいと思うこともあります。
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そんな妹が先日…
注:イメージ画像(出典 Instagram)
「お兄ちゃん、今度の休みに若江城跡に行ってみない?」と言ってきまして。
「若江城?なにそれ?」と言うと…案の定、そんなことも知らないのかというような深いため息をつかれ。なんでも、東大阪に昔あったといわれるお城なんだそうですが、恥ずかしながら全然知りませんでした。
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妹は夏休みの宿題でこの”若江城”について調べようと思っているらしく…
その手伝いを僕にしてほしかったようで、声をかけてきたようです。夏休みまではまだ2週間くらいあったので、早すぎだろと思ったんですが、妹曰く、じっくり時間をかけて大作の研究をしたいのだ、と。
正直今は大抵のことはインターネットで調べられますが、まずは実際にお城に行ってみないと始まらないということで。
断りたかったんですが…断る理由が即座に出てこず、連れて行かれました。
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しかしまあ、いい機会だしということで、若江城について色々調べてみると、これがなかなか面白いスポットだったんです。
「若江城と若江の戦い」パンフレット。A4三折6ページ。平成27年度東大阪市地域研究助成金で春に発行。興味ある方は東大阪市教育委員会に問合せてみてください。#若江城 #三好氏 #三好義継 #木村重成 #大坂の陣 #若江の戦い pic.twitter.com/VKyyg9E5Ss
— 山本ゾンビ@堺台場 (@yamamoto_zombie) 2016年6月21日
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「若江城」は色々と不明な点が多く、謎が多い、幻のお城としてその道では結構有名みたいなんです。
いわれてみれば、僕も昔学校で東大阪の歴史的な授業で先生がちょろっとそんな話をしていたような気もする。。。ってことで、調べていくうちに面白くなってしまって、かなり予習してしまいましたね。
結局、次の休みなんやかんやで結構乗り気で城跡に行くこと。(笑)
最近「あっぱれ!」が投票された、いま注目されている写真です。
石碑と鳥居のオールキャストです
[ぷちぱんださん]https://t.co/iNpXIwXcwO pic.twitter.com/55hp7pjLUJ— 攻城団🏯公式 (@kojodanjp) 2017年10月12日
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若江城は室町時代後期~戦国時代、200年ほどの間、東大阪市の若江町にあったといわれるお城です。
かつてお城のあった場所の周囲は、現在はごく普通の住宅街となっていて、言われなければ城跡とは気付かないたたずまい。肝心の城跡には小さな石垣の土台と鳥居、小さな祠があるのみで、ぱっと見であそこが城跡だなと思う人もほとんどいないんじゃないかと思います。
正直、東大阪が地元の僕でも今まで存在を知らなかったこの若江城なんですが、お城マニアや歴史マニアの間では、そこそこ名の知られたお城だったりするみたいなんですよ。
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そもそも若江城は、室町後期・南北朝の時代に守護として東大阪を含む河内の守護として赴任してきた畠山氏が築いたお城。
もともとは政治的な機能のみを持つ河内統治の拠点だったとみられていますが、南北朝の時代にあって、少しずつ時代が戦乱の世に移り変わっていく中で、防衛の拠点に変わってきたと言われています。
戦国時代には、織田信長との本願寺の争いの中で重要な役目を演じるなどしましたが、1583年に無くなってしまったんだとか。
久々のお芝居、河内キリシタン列伝。ちょっとせりふに漢字と聞き慣れない人名が多いけど、最近流行りの地方から見た戦国史、弱小キリシタン大名の悲哀がツボにハマりました。三好長慶、再来年あたりの大河ドラマ狙ってるらしいです( ̄◇ ̄;) #河内キリシタン pic.twitter.com/Ejx1EUovvB
— めぐむ (@megumu_jp) 2017年3月25日
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また、城の最後の時期はキリシタンの池田丹後守教正が城主となって教会などを作ったことから、”河内キリシタンの中心地”だったとも言われています。…色々と歴史の深いお城なんですね。
重要な役割を歴史上で果たしながら、わずか200年で失われてしまったというのもなかなかドラマチックなんですが、さらにはこのお城にはまだまだ不明な部分が非常に多く、そういった点が、多くの歴史マニアの心をくすぐっているんですね。
若江城!
このお城と言えば、1573年の「若江城の戦い」!
織田信長の家臣の佐久間信盛が攻め落としました。
戦国時代初期の畿内をかき回しまくった三好家の当主・義継(よしつぐ)は自害し、事実上最後の当主となりました~#大阪府東大阪市 pic.twitter.com/PocyybpkzM— 長谷川ヨシテル@れきしクン (@yoshiteru_hsgw) 2015年10月30日
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ちなみに、長らくお城の遺構が確認されないままだった事から、幻の城と言われていたんですね(1972年の発掘調査でようやく遺構が確認されたというワケです。)
今では本当に小さな遺構が遺っているだけなんですが、壮大なドラマがここで繰り広げられていたんだなあと思うと、図らずも胸が熱くなってしまいました。
ウチの実家の近くも、大坂夏の陣の戦場だったのよ。
昔はここに歩道橋があって、学校帰りに歩道橋のたもとに座ってダンゴムシ丸めて遊んでましたとさ笑#若江城#真田丸 pic.twitter.com/Xc54hzqJGp— まなみ @ チコちゃんに叱られたい。 (@manamiiz) 2016年1月30日
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でもきっと、こんな風に、当時は大きく栄え、地域に重要な役割を果たしたお城でも、今では忘れ去られているお城もたくさんあるんでしょうね…。
文献に名前が残っていないお城だってあるんじゃないかと思うと…すごくロマンがありますよね。という事で、ちょっと妹の自由研究の成果が楽しみにもなっていたり。(笑)
東大阪の人はぜひ一度、若江城について調べたり、訪れたりしてみてくださいね。
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若江城跡【HP】
住所:大阪府東大阪市若江北町3丁目3