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広島出身のロックスター・矢沢永吉の成りあがり人生

私は矢沢永吉さんの大ファンです。

矢沢さんは1949年9月14日生まれの68歳で、広島県広島市南区仁保出身のロックミュージシャンです。

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身長180cm、血液型はB型。

矢沢さんは私の両親よりも年上なんですが、いつまでも若々しくてエネルギッシュで魅力的ですよね。私のように20代のファンから80代まで幅広いファンに愛されています。

熱狂的なファンが多くいることで知られていて、2006年には、NHKスペシャルにて矢沢さん本人ではなくファンにスポットを当てた番組が放映されました。

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愛称は「永ちゃん」「ボス」です。私は密かにボスと呼ばせてもらっています笑。

矢沢さんの生い立ちは波乱万丈です。母親は矢沢さんが3歳の時、夫と息子を捨て蒸発しました。広島で被爆した父親とは小学校2年生の時に死別しています。

そのため、幼少期は親戚中をたらい回しにされ、その後は父方の祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごしたと言われています。

貧乏でケーキなんか買えない

この頃、裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験したそうです。

過去にこれだけ辛く壮絶な経験を積み重ねたことから「BIGになる」との思いが芽生えたと語っています。生まれ育った広島での苦しい生活があったからこそ、長年愛され続けている数々の名曲が誕生したんですね。

ラジオから流れるザ・ビートルズ

中学時代、ラジオから流れるザ・ビートルズを聴いてロックに目覚めたそうです。

更にザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで感化され、スターになることを真剣に志すようになるんです。

その後は高校卒業と同時に、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島から最終の夜行列車で上京します。

横浜

しかし、長時間の移動で尻が痛くなったことと、ザ・ビートルズの出身がリヴァプールという同じ港町だったことから”横浜駅”で途中下車しています。

その後はチャイナタウンや喫茶タクト(日ノ出町)などで働きながらバンド活動をスタート。途中下車してしまうあたりは、矢沢さんらしいエピソードですよね。

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バンド活動をスタートさせてから、自作の曲「I LOVE YOU,OK」のテープを「ビートルズのレコードを出しているから」という理由から東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)に持ち込みますが…

「売れない!」と言われて門前払されたそうです。

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その他、並行してバンド活動を開始。

「ザ・ベース」「イーセット」を経て「ヤマト」を結成します。「ヤマト」には、後に「矢沢ファミリー」と呼ばれるNOBODYの木原敏雄さん(ギター)、大森正治さん(ドラム)がメンバーに在籍していました。

この頃、もう一人のNOBODYメンバーである相沢行夫さんとも知り合っています。

「才能のない奴は去れ!」という矢沢さんらしい考えから、無能なメンバーを切り離し、使える者をピックアップすることでバンドの能力向上を図っています。

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厳しい広島時代の生活があったからこそ、自分にも他人にも厳しくできる性格だったんですね。

やっぱりロックスターになれる人って、こういう人なんでしょうね。

活動中は、ライブハウスの「ゴールデンカップ」やキャバレー、兵隊の集まるゴーゴークラブで歌い、「ヤマト」で芸能界デビューを望んでいたものの、様々な事情により解散。

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そして1972年にロックバンド・キャロルを結成。ボーカルおよびベースギターを担当しました。

当時は歌謡曲とフォークが中心で、ロックバンドが商業的に受け入られなかった音楽界に突如として現れ、人気を博した伝説のバンドなんですよ。

活動は短期間でしたが、後の日本のロックシーンに大きな影響を与えるまでとなりました。

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解散後の1975年には、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍。

キャロル関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えし、ロサンゼルスレコーディングをされています。…かなり豪快なエピソードですよね。

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そして、その時レコーディングした「I LOVE YOU,OK」でソロデビュー。

もうひとつ豪快なのが、本作の制作費はキャロルで得た印税を全て注ぎ込んで作っているということです。本当にゼロからのソロデビューだったんですね。

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矢沢さんって本当に豪快でストイックで、音楽に愛を注ぎ込む素敵なミュージシャンですよね。

そのため、様々なトラブルや騒動などもありました。山中湖の自宅取り壊し、ポルシェ盗難事件、マネージャーによるコンサート売り上げ詐欺事件、そっくりさんによる3億円CM裁判などがありました。

数々の騒動を乗り越えても潰れることなく、今も第一線で輝き続けるロックスターなんですね。

広島での辛く苦しい日々

広島での辛く苦しい日々があったからこそ、今も尚、魅力的に輝き続けている矢沢永吉さんを私は尊敬しています。私も矢沢さんのように、ひとつの夢に対してストイックに挑んでいきたいです。

そのためにも一度、ボスの生まれ育った街・広島を巡ってみたいなと思いました。

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