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歴史好きな人にオススメ、岡崎の情緒あふれるスポット

こんにちは、愛知県岡崎市在住の大学生です。学校は名古屋の大学に通っています。

岡崎市というと、愛知県の中でも結構大きな町なんですが、意外と知名度も高くないし、知っているという人も…どんな観光地があるのかよくわからない、と言われることがほとんど。

確かに、なんとなく、これ!というスポットであんまり思い浮かばないというのもわかります。

家康が生まれた岡崎に建つ岡崎城

岡崎は徳川家康生誕の地ということで、徳川家や家康にゆかりのあるスポットもたくさんあるんですが…その中でも特にこれ!という、全国的な知名度のものも多くありませんしね。。。

しかし、岡崎は徳川家の城下町。東海道の宿場町としても栄えた町ですから、実は歴史的に貴重なスポットが大量にあるんです。

一畑山薬師寺(岡崎)

寺社など、昔から現在まで地元の重要な存在としてあるものや、当時の面影を残すスポットもたくさんありますしね。

歴史好きな人、パワースポット好きな人なんかは特に、飽きることなく散策できる町なんですよね。

岡崎・伊賀八幡宮の蓮

歴史巡りなどが好きな人で、有名どころはとりあえず行ったという人などが、より深い旅をはじめて行くのにもオススメの町なんです!

今回は特に歴史情緒あふれるスポットとして有名なスポットを、いくつか紹介したいと思います!

奥殿陣屋(岡崎)

まず紹介するのは「奥殿陣屋(旧奥殿藩陣屋跡)」

奥殿陣屋(旧奥殿藩陣屋跡)

奥殿松平家5代真乗の子・真次が奥殿松平家初代としてこの地を統治したことに端を発し、その後、乗真(初代藩主)が正徳元年(1711)に奥殿に陣屋を移して奥殿藩が誕生したことが奥殿陣屋の始まり。

現在では、小高い丘の上に美しい白壁の民家を囲む土塀と士族屋敷の一部が残っており、1万6千石の親藩として奥殿藩の歴史と文化を今に残しています。

また、奥殿陣屋には日本庭園もあり、四季折々の自然の美しさを楽しめます。

「陣屋」というのは江戸時代に藩庁が置かれた屋敷のことを言います。今でいうと県庁舎といったところでしょうか。

徳川2代将軍、秀忠に仕えていた松平真次に始まる松平家が収めていた奥殿藩の陣屋として建てられ、利用されてきた建物です。

廃藩置県で取り壊され、一度は田畑となったということですが、1984年に曹洞宗の寺院・龍渓印の書院が移築され、公園施設として整備されています。

奥殿陣屋(蓬莱の庭)

書院をはじめとする建物や公園は昔ながらの日本の建築や庭園を思わせる公園となっていて、散策にはもってこい。四季折々の花が咲く風景も素敵です。

歴代藩主の廟所や花火資料館や歴史資料館をはじめ、周辺施設もたくさんあるので、歴史好きの人には楽しいと思います。

観光客の人はもちろんですが、岡崎の人も、地元のことを改めて知る意味でも訪れてみてほしいなと思います。

旧本多忠次邸(岡崎)

続いては「旧本多忠次邸」

旧本多忠次邸

本多忠勝を始祖とする旧岡崎藩主本多家の末裔である本多忠次が、昭和7年に東京・世田谷に建てた住宅と壁泉の一部を移築し復元したもの。

邸宅は西洋スパニッシュ様式であり、当時そのままの家具やステンドグラスなどの調度品が常設展示中。

岡崎市にある歴史的な建造物のひとつとして、多くの人々に親しまれ、年に1〜2回程度、企画展示も開催されている。

本田忠次は、旧岡崎藩主本多家(本多忠勝系)の末裔で、子爵だった本多忠敬の次男だった人物。

旧本田忠次邸は、そんな本田忠次が東京の世田谷に1932年に建てた住宅を、岡崎に移築したものです。

参考:時代を感じるモダンな洋館 〜岡崎の『旧本多忠次邸』の美しさに酔いしれた主婦のお話

旧本多忠次邸(内部)

周到な調査と準備を行い、約1年の時間をかけて完成させた住宅だったということですが、なんと、敷地選定から建築基本設計まで自身で手がけたというこだわりよう。

地元の名家の魂が、その建物からもひしひしと伝わってきます。

旧本多忠次邸(浴室)

建物は、昭和初期の邸宅建築に好んで用いられたスパニッシュ様式を基調に、一部テューダー様式を加味した木造2階建て。

要するに、完全に洋風な建築ですね。

旧本多忠次邸の和室

しかし内部には洋間だけでなく日本間があり、和の心も感じることができます。

西洋風とはいえ、やはり日本人が日本で建てると、不思議と歴史ある日本の建物という風格が出てくるのが不思議ですよね。

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注:イメージ画像(出典 Instagram)

僕が訪れたときには企画展や雅楽演奏会が行われるイベントが開催されていましたが、そうしたイベントも定期的に開催されているようなので、訪れる際には要チェックです。

近くには岡崎市東公園動物園などもあり、この動物園や周辺もなかなか風情ある素敵なロケーションとなっているので、そちらも併せて訪れるのがオススメですよ。

参考:旧本多忠次邸施設概要 | 岡崎市ホームページ

岡崎二十七曲り

そして最後に紹介するのが「岡崎二十七曲り(まがり)」

これは観光地というよりは、岡崎の歴史を感じることのできる観光ルートですね。

岡崎二十七曲り

岡崎市街地にあるかぎ形の道路で知られる観光スポット。

この道路は、かつて城下町として栄えた岡崎が外敵からの攻撃を防ぐために作られたもので、現在でも二十七の曲がり角には目印となる石柱が立つ。現在も残る岡崎二十七曲りの曲がり角には、石碑や金のわらじが点在。

また、岡崎城の城主だった田中吉政が造成した道路で、彼の功績により岡崎は栄えることができたと言われています。

また、岡崎二十七曲りがある岡崎市は、東海道五十三次の中でも屈指の規模を誇る宿場町であり、旧街道には二十七曲りを示す碑や常夜燈が残されています。

岡崎市はかつて東京から京都を結ぶ大街道、東海道の主要都市の1つとして栄え東海道の中でも3番目の規模を持つ宿場町でした。

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注:イメージ画像(出典 Instagram)

当時の東海道の正規ルートは岡崎城下の多くの曲がり角を抜けるルートになっていて、一部は岡崎城の内部もルートに含まれていたといわれているそうです。

そんな多くの曲がり角のある岡崎市城下の東海道のルートは「二十七曲」と呼ばれていたそうです。つまり観光としての「岡崎二十七曲」とは、かつての岡崎城下の東海道の再現ルートということになります。

第二次世界大戦の空襲などで被害を受けましたが、二十七曲りの道筋はほぼ今でも当時の通り通ることができるんだとか。

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注:イメージ画像(出典 Instagram)

冠木門にある「金のわらじ案内柱」がスタート地点の目印として建てられ、矢作橋に至るまでがコースとなっています。

間に様々な観光地や歴史ある風情を残すスポットもありますし、昔の人と同じルートを歩くことで感慨深いものがあると思いますよ。

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注:イメージ画像(出典 Instagram)

岡崎には「二十七曲りせんべい」という美味しいお菓子もあるので、こちらも是非食べてみては?

皆さん、是非歴史情緒あふれる岡崎の町を歩いてみてくださいね。

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